心にぐっとくる言葉

歴史学者【磯田道史】さんの考え方や言葉がぐっとくる

心にぐっとくる言葉

年末にたくさん録画するだろうからと思って、今まで消さないで置いたHDDを整理していました。

その中に、2017年7月12日の古舘伊知郎さんが司会を務める「トーキングフルーツ」があり、ゲストが「武士の家計簿」や「殿、利息でござる」で原作者でもある、歴史学者の磯田道史さんでした。

もう、ずいぶん前のだし、残ってたことも覚えてなかったので消そうと思い一応チェック。

見てみたら、消さないでいたのを思い出しました。

冒頭のナレーションでぐっとくる

人間の未来が少しでも良くしようと化学があるように、人間の未来のために歴史はある。
先人たちの成功や失敗、喜びや悲しみは、最先端の科学と同じく、生きるヒントになる。
過去は新しい、未来はなつかしい、そして、この人の話は、おもしろい。

 

ナレーターは桑原礼佳さんという方。声が耳にやさしく語るような感じで、それがまた良かったのかもしれないな。と再確認。

そして、やっぱりおもしろかった。

なぜ歴史を学ぶのか?

冒頭で古舘さんが、「先生がお考えになられていることこそが、今後の世界を救うというか、僕そういうふうに思います。」とも言っています。

聞いてみると「なるほど、そうかもな」と思えることも多い。

なぜ歴史を学ぶのか?なぜ歴史を学ばないといけないのか?という質問やつっこまれたときに、必ず答えることが磯田先生にはあるんだそう。

磯田先生:僕、大きいことを若い人とか質問されたときに、逃げずに真正面から答えることって人間にとって一番大事な事だと思ってて、夏目漱石も「俳句とはどうですか?どういうものですか?」と聞かれたら本当に生真面目に答えた。

で、そういうことはとっても大事だと思ってるから、僕は「歴史がなぜ必要なのか?」って言われたら、「じゃあ、あなたは、例えば彼氏と別れたとか彼女と別れたとか、あるいはお財布を落としたとか、言ったら、どうしてそうなったんだろうと考えないかい?」っていうと、「いや、考える」と。

で、考えるとつぎ恋愛するときでも、財布を落とさないようにするにしても、前よりも上手くできるようになると思って考えるだろうと。

これは、普通の生き物は個人でもできる。犬が僕にポカンと殴られたとしたら「磯田ってやつは殴るかもしれない」と気を付けるのは動物でもできる。

だけど人間って動物は他の動物と違って、他の人間の体験を活かせると。それを、もし、その行為を日本という国単位でやったら日本史になる。世界単位でやったら世界史になる。フジテレビの単位でやったらフジテレビ史になる。組織単位でもできる。

だからそういうことで、前よりも過去を知ることで、よりよく生きられるようになり、役に立つんじゃないかと考えるのが歴史の存在意義だと。それがやっぱり歴史を学ぶ意味なので、なぜこうなるんだろうと。暗記物じゃないんだと。

 

古舘さんが「そこだけで感動しまして」とおっしゃっていますが、本当にそこだけで感動してしまいました。

当然、中学校や高校の頃の自分に聞かせてやりたいと思ってしまったわけです。

暗記しかしてなかったから苦手だったのかもしれないな。とも思いました。

そう考えるだけでもおもしろい。実はわたし、磯田先生の本を読んだことはないんですが、テレビでいていて面白いと思い、いつも出ているとみてしまいます。

やっぱり面白いと思うものは興味が出る。興味が出ると考える。だから勉強する。

歴史だけじゃなくて、色々な勉強を、その「存在意義」として考えることは重要だよなぁ。

歴史は実用品

磯田先生:よく、「歴史がわたし好きなんです」とか「きらいです」とか言いますよね?それって、歴史って、嗜好品のように思われるんですけど、僕にとっては違って、歴史は好きとか嫌いとか趣味とか趣味じゃないとかじゃなくて、歴史は実用品なんですよ、私にとっては。

例えば、このあいだ原発事故起きましたけど、あれ、はっきり過去に、自分の原発に何メートルの津波が来るか、津波史を知っていれば、多分かなりの部分避けられたはずで、それ考えると、最先端の科学技術をやっておれば事故が起きないかって言うとそうじゃなくて、本当は歴史という技術は大変な実用品で、これをやってなかったから、やっぱかなり落ちちゃったということは言えるわけですね。

日本は近代化を急いだので、文科系と理科系っておかしい事に分けちゃったんですよ。

工学、技術と、そういう歴史性のある文科的なものと芸術は、三位一体でなければ本当はおかしいんですよ。ダ・ヴィンチの時代はそうだったのに。

で、そのおかしさにもやっぱり気が付かなければいけないのに。

 

なるほどぉ~しか言葉が出ない。三位一体か・・・。

歴史は未来をよりよく生きるための実用品だというわけですが、それは、今まで自分が勉強してきたことと、磯田先生が言っている三位一体という事とが、差がありすぎて「ムムム…。」としか考えられない。

勉強じゃないにしても、自分が今までやってきたこととか信じてきたものが、ある日「あれ?もしかしたら違うのかも。」ということがあったんですが、そんな感覚におそわれました。

歴史の救急車

自分のことを「歴史の救急車」だという磯田先生。

磯田先生:歴史の救急車性ってトコでいうと、歴史学者にも、僕も反省したんです。というのも、こういう大変な事起きちゃいますね。例えば、3.11の後この5年間、地震津波の活動期に日本列島が入りました。で、明らかです、それはどう考えても。

そしたら、津波や地震のことを調べないといけないですねぇ。で、急にはたくさんそういうことを調べる方々が増えるわけではない。だけど、私は幸いにして文字を読むことは好きで、古文書さえ読めれば色んな情報が入ってくる。

その場合は警察だったら機動捜査隊があり、軍隊だったら習志野の空挺師団のごとく少々被害を受けてでもですね、あの、社会にとって必要な現場にすぐに下りてですねぇ、対応を始める、即応することが必要なので、自分は「歴史の救急車」っていうのは、社会がケガをしそうなことになるといったら、古文書でもってその分野の研究を、あのぉ、緊急手術のようなもんですね。やって一応提供する。だから、急いでやるんで完璧なものではないかもしれないけど、誰かそれやらなきゃってんでぇ。

この前、中央構造線が動いて熊本で熊本で地震が起きたら、過去に熊本で地震が起きたパターンを調べて、すぐにテレビ出て話します。そうすると、大分方向へ拡大しているっていう「前代未聞、前代未聞」と気象庁がいう姿っていうのは、実は前代未聞ではなくて、400年前くらいさかのぼればですねぇ、全く同じパターンであったということが分かったので、だから、この中央構造線の地震っていうのは大分方向へ、西側へもって拡大していく傾向があるということはすぐに分かるんですねぇ。

 

そこには磯田先生のお母様が津波の生き残りだという事にもあるんだそう。

磯田先生:親代々、私の母方の家系ってのは津波がかたきなんですよ。津波っていうのは、存外、逃げることで相当に死者が減らせるものなんですよ。

で、それは僕、反省したんです。19歳の時に災害の歴史っていうのはあると思って知ってたんですよ。で、資料を集めてたんですけど、こういうものは、真ん中の歴史ではないから、定年退職くらいするような60歳近くになってから研究すればいいやって思ってたんですよ。

ところがですよ。あんなに揺られてですねぇ、3.11を、あんな東日本大震災を見ると、本当に匕首を突き付けられたような状態に日本がなるわけですねぇ。そうすると、自分はやっぱり親代々こういう目にあってきて、小さいころから津波の怖さを聞かされてるから、なんとかこれ、一生やってて、人命がひょっとしたら助かるかもしれない歴史学なんて、仕事としてこんなにやりがいのあるものはないかなぁ、と思ったんですよね。

 

閉じたオタク、開かれたオタク

人の役に立つことや、歴史学者として人のためになることについて磯田先生はこう言っています。

磯田先生:なんでそんな思うようになったかなぁ、と思ったんだけど、ある時まで僕は閉じたオタクだったんですよ。

開かれたオタク。これとっても日本にとって重要な事だと思います。

古文書読んで、自分が発見して面白けりゃそれでいいと思っていて、正直どっかに就職することすら良いんじゃないかと思ってたんです。バイトしながら生涯、古文書と遺跡巡りをしようと思ってたんです。

まぁ、だんだんやってるうちに、それだけじゃ面白くないなぁ、と思い始めた。で、歴史上の登場人物たちって、やっぱり見てると、すっごいお金を集めた人もいれば名声を集めた人もいるけど、一番幸せそうな人たちって人に感謝された人たちなんですよ。で、そんな人に感謝されたみたいな大それたことができるかどうか知らないけど、少なくともそうしようと思って、あと、この仕事はやっててやりがいがあると思ってやってる人の人生が、一番幸せそうに終わってるってことに気づくわけですよね、やっぱり読んで。

僕ね、閉じたオタクから開かれたオタクしなきゃって思ったきっかけは、アインシュタインの随筆読んだ時だったんですよ。

 

磯田先生の人生を変えたアインシュタインの言葉

磯田先生:アインシュタインが書いた、僕は意外な言葉ってのは、今の世の中がどうしてよくなんないんだろうをズバリ書いてた。

何かって言うと、人間と言うのはその人が得たことで評価してしまうようになってると。あいつ金持ちになったとか、地位が高いとか、知名度が高いとか。

で、人間ってね、強いものに寄り添ったり、たくさん資源を持っている人間に寄り添うという行動をとったDNAがたくさん残ってるので本能的にそうなっちゃうんですよ。

だけど、アインシュタインはその次にこう書いてる。

本当は、人類は、人にどれだけを与えたかっていうことで人間を評価するようにならないといけない。

その人が偉いかどうかってのは世の中に対してどういう貢献をしたかの、その、数量的ですよねやっぱり彼は物理学者だから。それを定量化して、たくさんのやつは「すごいなぇ、あんだけ貢献してるなぁ」ってなったときに、そういう風に人類が思うようになったら、多分、選挙に行くときだってそういうことを基準に投票し始めたら多分違うと思うんですよ、だいぶ。

 

磯田先生の人生を変えた魯迅の言葉

アインシュタインとは別に、魯迅の言葉にも感銘を受けたという磯田先生。

それは、お金のない学生の頃に500円で買った中国語で書かれた色紙だったんだそう。

磯田先生:なんで古文書やる時に開かれたオタクって、もう一つ言葉があって、魯迅って中国に作家がいるんですけど、「私は牛のようなものだ」っていう色紙をあるとき。

家に持って帰って「内山」と見えるんで、で、内山完造って人は、この人はどんな人なんだろうと。で、持って帰って調べたら、このおじいさんは、僕の田舎の岡山から、小学校出た後上海に行って本屋を開いて魯迅をかくまっていた人だった。魯迅を魯迅にするにあたってものすごく費用した人で、その内山さんが魯迅のことを中国語で書いてた。

そいで、僕はその色紙を持って、内山書店っていうのが、子孫がまだ生きていて神保町にあるというからただの学生だったときに孫に会いにいったんですよ。

で、これはおじいちゃんの書いたものだと思うのだけれど、おじいちゃんのものだろうか。それと、何かいてるんだろうって言ったら、これは魯迅の言葉を書いてて、「私は牛のようなものだ。草を食べて乳を出す」と書いてあった。

で、これ何かって言うと、中国って漢字だから難しいんで、字が読める知識人が少ないんですよね。で、魯迅は自分が、草って言う、ようするに難しい漢字とかたくさん本を読ませてもらって、一般の人が分かるように、乳の状態にして出すんだと。

で、それ見た時に自分の仕事は「牛」と。古文書という、普通の人が食べられない草をひたすら噛んで、寝っ転がって、おっぱいとしての分かりやすいものを書くっていうのはいいんじゃないか。これでもう、やること決まったようなもんでした。

なんか一個のことをやる人の言葉って、本の山に入ってると、なんか心に響くことが時々あるんですよ。

 

アインシュタインにしても魯迅にしても、磯田先生がそこから学んだのは「人に与える」という事なんですね。

磯田先生自信、歴史が好きで人よりもできることがある。っていうのはすごく大きいかもしれませんが、そういう意識でいたいなって。

私は今、磯田先生のその言葉が心に響いている。

やりがいとか人に与えるとかって、なんかきれいごとじゃない?って捉えてしまう斜めな自分もいますが、心に響くような言葉や内容って、やっぱりその人が本気だからなんだよなぁ。とも思います。

磯田先生の読書

磯田先生は歴史の本を読むあまり、倒れた経験も話されていました。

磯田先生:私の本の読み方って面白くってね、例えば全集とかだと全部読むんですよ。吉田松陰全集だっつうと、吉田松陰が生涯に書いたもの全部ほぼ読むんですよ。山県有朋だって高杉晋作だって全部読む。

ですから、片っ端から図書館の本を読み続けるんで、図書館の中でぼく倒れちゃったくらいで最初は。

2か月目に倒れましたね。救急車を横付けされてですね。

2ヶ月くらい、ご飯もあんまり食べずに読み続けると。

全部読めなくても、この図書館にある本の背表紙だけ、指で触るだけでもやろうと思ったんですよ。指で触ればどんな本が存在するかが分かるから。

これを、とにかく歴史や自分に関係しそうな所は全部読もうと。で、あとは読まないまでもどんな本があるかを知るためには全部触ってけばいい。

で、それをやり続けたらなにか自分は違う人間になれるんじゃないかと。思ってやったんですよ。

そしたら、吉田松陰や高杉晋作は、自分のいとこよりは詳しくなるわけですね、少なくとも。そういう人物を五千人とか一万人とか作っていくと、やっぱり完結した人生をそれだけ見て行くとですよ、倒れて、そのときは「血圧上32です。危ないです」までは聞こえてるんですけど、、、。

 

いやぁ、本当に笑っちゃうくらいすごい。

でも、自分で好きな事をしていてる時ってご飯食べないで夢中になることもあるな。と考えたみたり・・・。

でも、大人になってそういうことも減ったなぁ。としみじみしてみたり・・・。

明日にでも図書館へ行って背表紙だけでも触ってみようかしら。

Backing into tha future

「Backing into tha future」

これは要するに、過去を見やりながらまだ見えない未来に向かって後ずさる。という意味。

後ろ向きになって地震や震災の歴史のことを話されていましたが、古館さんが言っていた言葉もなんだか響いてしまいました。

それは、古館さんがインドに行ったときに出会った言葉。

過去は新しい
未来はなつかしい

 

冒頭のナレーションで言ってたことなんですが、ちょっとよくわかりませんよね。

古舘さん曰く、時間と言うのは年表のように直線ではなく、スパイラルのらせん状の階段のようにイメージができて動いているというもの。

過去にあったものや起こったことはその時は新しく、しかし過去のことを知っていれば未来は予想ができ危険を回避することができる。

前を向いて歩くのでもなく、上を向いて歩くのでもなく、後ろを向いて後ずさる。

何かに興味を持った時に、その歴史を学ぶのは面白いかもしれませんね。

しかし、毎回海外で道に迷う私はいったい・・・。

学んでねぇ~~(*_*;と反省するのでした。