芥川龍之介の「蜘蛛の糸」と言うと教科書にも載っていたし、知っている人も多い作品ですよね。
芥川龍之介が初めててがけた児童文学作品ですが、芥川龍之介の写真を見ると所ジョージさんを思い出してしまうのは私だけでしょうか・・・。
実は最近部屋に蜘蛛が出て、ふと「蜘蛛の糸」を思い出し逃がすでもなく潰すでもなくそのままにしていました。
「ふふ、私って良いことしてるんじゃないの( *´艸`)」と、勝手に妄想。
何日か壁を歩いているのを見かけていたのですが、徐々に私がいつもいる場所に近づいているんです。
いや、もちろん気のせいでしょうが、人って面白いもんで愛着がわくんですね。
「龍之介」と、勝手に心の中で名付けました。
数週間して姿が見えなくなったんですが、それはそれで「出て行ってしまったんだな」と思っててました。
で、あるとき、コメ粒ほどの小さい黒いもんが布団の上にいるので驚いたんですが、すごく小さい子供の蜘蛛だったんです。
「え!?もしかして龍之介の子供!?」と思ってしまったんですが、それも外から勝手に入ってきていたのかもしれません。
でも、もし、龍之介の子供だったとしたら、「龍之介子だったのか」とか「龍之介子はまだどこかにいるのかしら」とか「そのままにして良かったな」とか、なんとなく感慨深いものがありました。
そんなわけで、久しぶりに、というか大人になって読む機会がなかった「蜘蛛の糸」を読み返してみました。
性格のひねくれたまま大人になった私は、久しぶりに呼んだ「蜘蛛の糸」がおもしろかった。
『蜘蛛の糸』のざっとしたあらすじ
ある朝お釈迦様は極楽を歩いているとき、蓮池から地獄にいる「犍陀多(カンダタ)」を見つけます。この犍陀多という男は悪事を働いたのですが、あるとき深い林の中で蜘蛛を殺さず助けたことがありました。
お釈迦様はそのことを思い出し、この犍陀多を地獄から救い出してやろうと考えます。そこでたまたま蓮の葉の上にいた蜘蛛を地獄の方へ卸すのです。
犍陀多はというと、針の山や血の池など様々な責苦に疲れ果て泣声さえもなくなっています。しかし、何となく頭を上げたときに一筋の細く光る蜘蛛の糸を見つけるのです。
そして蜘蛛の糸につかまり地獄を抜け出そうと、上へ上へとのぼっていきます。ところがこの蜘蛛の糸の下の方には、他の罪人たちも自分の後を追ってのぼってきています。
自分だけでも切れてしまいそうな糸なのに、この光景を見た犍陀多は他の罪人たちに「この蜘蛛の糸は己のものだぞ」と喚くのです。その瞬間蜘蛛の糸は切れ、真っ逆さまに落ちて行ってしまうのです。
お釈迦様は一部始終を見ていましたが、悲しい顔をしてまた歩き出します。
想像しやすい「蜘蛛の糸」の極楽
ものすごく久しぶりに読んだ「蜘蛛の糸」は、小学生でもわかるような極楽の様子で少しうっとりしてしまいました。
ある日のことでございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いている蓮の花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蕊(ずい)からは、何とも云えない好い匂いが、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽は丁度朝なのでございましょう。
これは冒頭の文ですが、いやぁ、良いですよねぇ。ぶらぶら歩いてるんですよお釈迦様が!
蓮の花の美しいであろう感じや香りの様子。紗がかかった中をぶらぶら歩いているお釈迦様を想像して、気持ちの良い朝なんだろうというのが分かります。
言葉使いもたまらない。就職して言葉使いをめちゃくちゃ直されたことがありましたが、こういった文学に触れていたら自然にできたかもしれないなぁ。と思う。
子供にもいいけど、留学生や語彙力を上げたい大人にも良いかもしれないですよね。
ツッコんでしまった「蜘蛛の糸」の犍陀多(カンダタ)とお釈迦様
大人になって読んだ「蜘蛛の糸」は、何となく腑に落ちない部分もありました。
まずは犍陀多。
この犍陀多と云う男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥坊でございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛が一匹、路ばたを這って行くのが見えました。そこで犍陀多は早速足を挙げて、踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命あるものにちがいない。その命を無暗にとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」と、こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったからでございます。
いやいやいやいや、踏もうとしてたじゃ~ん!!良いことする前に悪いことしようとしてたじゃ~ん!!
ってね。
「助けてやった」って、超上から目線だな。踏もうとしなかったら元々助かってたよな。
ってね。
で、そのことを覚えていたお釈迦様はこう考えるんです。
そうしてそれだけの善いことをした報いには、出来るなら、この男を地獄から救い出してやろうと御考えになりました。
いやいやいやいや、だから踏もうとしてたじゃ~ん!それだけの善いことする前に悪いこと一杯やってんじゃ~ん!!
ってな。
そしたらゴキブリも同じかしら?と考えてしまいました。
家にゴキブリ出たら、シュ~って吹きかけるでしょ?もしくは新聞紙。見逃して助けてやったら善いことなのかしら?
そういえば、私が「龍之介」と勝手に名付けた蜘蛛が蜘蛛じゃなかったら、私は同じようにしてたかしら?
そこで思ったんです。
これは人間の傲慢さの話だな。
少なからず、家に出た蜘蛛をそのままにして「私良いことしてるじゃん」って勝手に思った私も、実に傲慢である。
大人になってから児童文学作品を読むのは面白いです。子どもの頃と違った見方もできるし、けっこう気づきもある。
今回読んだのは「青空文庫」からです。
青空文庫は著作権の切れた作品を電子化して提供しているものです。アプリをダウンロードすると作品別や作者別に探すことができます。私は作品をダウンロードして旅のお供に持って行くこともあります。
電子書籍なので読みにくいと感じてしまうこともあり、結局本を買ってしまうこともありますが、「蜘蛛の糸」のような短編集を読むのにはおすすめ。