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『大分むぎ焼酎 二階堂』のCMがぐっとくる

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いつもTVで流れるたびに、なぜか見入ってしまうCMです。

商品とは関係なく声や映像などに注目してしまいます。

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二階堂

「大分むぎ焼酎二階堂」とは、その名のとおり大分を代表する酒造メーカー二階堂酒造が販売している麦100%の焼酎です。

CMが始まったのは、1987年。 当時から芸術性の高い作品と評価されてたそうです。

撮影場所もほとんどが九州で撮影されていて、何だか旅に出たくなるようなそんなCM。

なんと、ファンクラブがあります。

http://nikaidoucm.com/

こちらや、二階堂のHPを見るとCMの全作品の解説、撮影場所などが出てるのですが、 私なりに感動した、ぐっときた作品を紹介したいと思います。

もしかしたら、このCMは家族の物語、父と息子の物語ではないだろうか。

短編ではあるが、長年にわたって家族の想いや形を表現しているのではないだろうか。

そんな風に思ったんです。 映像は関係なく言葉だけでの私の想像です。

 

1987年「自然」

いつ、来れますか・・・。
いつ、逢えますか・・・。
いつ、話せますか・・・。
自然も、街も、人も、みんな、ゆっくり、もっと、ゆっくり・・・。

第28回 ACC賞 地域CM部門 優秀賞受賞作品

一番最初のCMです。

大分の大自然が映され、このナレーション。 もうぐっとこないわけにはいきません。

これは、恋人同士というよりも、親子、もしくは、祖父母と孫たち。

都会に住んでる子供たちを田舎で、焼酎を飲みながらゆっくり待ってるような。

今年はいつ帰って来るの?と、母が電話なんかして、父がそれを聞いている。そんな場面を思い描けます。

 

1990年「刻のオブジェ」

海から抜け出した魚たちが、今夜帰ってくる。
大地の上で、彼らは一体、どんな夢を見たのだろう。
聞こえてくるのは、魚たちの夢の話。 彼らの夢を肴に、今夜も・・・。

第31回 ACC賞 地域CM部門 奨励賞受賞作品

ここだけ見ると、何だか、ふんわりとした抽象的な詩のようですが、前作品を読むと少しつながりませんか?

都会に行った息子たちが今夜帰ってくる。 子どもや孫の話を聞ける喜びのような。

そう思うと、少しうれしい感情や、優しいお母さんやお父さんの表情が浮かんでくるんです。

ああ!魚と肴をかけてるのか!?

1992年「私の道」

風の道を辿って、旅は始まる。
忘れていた夢に出会い、
見知らぬ刻に触れる。
私の旅は、終わりのない旅かもしれない。
風の道が、私の道。

第33回 ACC賞 地域CM部門 優秀賞受賞作品

1993年「文士」

東にいれば、西に行きたい。
春が来れば、冬が恋しい。
いたずら頑固に、生きてゆく。
そんな時代がありました。
誰にも似ていない、誰にも辿れない

第34回 ACC賞 地域CM部門 奨励賞受賞作品

92年と93年のこちらの2つは、今夜帰って来る子供たちを待っている間に、先に焼酎をを飲みながら一人、自分の若かった頃のことを思い出してる感じがします。

旅に出た自分頃の自分。旅の途中の自分。自由にしていたあの頃。

そんなこともあったなぁ。と。一人なのに、少し照れ笑いなんかして。

そのイメージはどちらかというと父親のイメージです。

母親が食事の用意をしている。居間では父親が何かを思い浮かべているような、静かな情景。そんなイメージです。

 

1996年「シネマグラス」

探していた想い出に、
人は、どこで追いつけるのだろう。
人はみな、帰るべき刻があり、辿りつく夢がある。
夢から醒めて、ここにいる。

第37回 ACC賞 地域CM部門 ACC賞受賞

前回からの思い出の中の話に聞こえてしまいます。

夢に終止をうって、自分の旅から帰る場面。

もしかしたら、夢は叶わなかったのかもしれない。

そして、違う夢にたどり着いた。(例えば結婚とか)

1997年「木登り」

ただいま。
グラスに映るのは、本当の私です。

木登りでは、その思い出している夢から現実に戻る場面を想像しました。

焦点がグラスになり、その向こうに子供が帰ってくる。

「ただいま」は、自分の想いと、息子の「ただいま」が重なる感じです。

1999年「旅人の車窓」

生まれたばかりの風が、
窓から飛び込んでくる。
旅人のほろ苦い後悔は、
やがて美味しい溜め息に解きほぐされていく。

息子が帰ってきて、一緒に焼酎を飲んでいる場面が私は浮かびました。

生まれたばかりのっていう所は、何だか小さい孫がいる感じがします。

あの頃の自分に納得いってなかったけど、今、この瞬間、一緒に酒を飲んでる幸せ。みたいな。

妄想の中で、勝手に優しい顔の父親を想像しています。

 

2001年「雨宿り」

刻の我侭に流されて、
私は、記憶の海に辿りつく。
ふるさとは、私の中に流れています。

このあたりから、回想は息子になっていきます。(私の勝手な想像ですので)

息子も父と同じように夢を持って旅に出たけれど、心の中には故郷がある。

「わがまま」とあるので、ケンカして家を飛び出したかのようにも見えます。

いつも、両親の顔や田舎を思い出して、心配しているのか、懐かしく思っているのか。

という妄想。

 

2002年「父」

私の記憶に、いつも後姿で現れる人がいる。
あの頃、あなたが口にしなかった言葉に、
いつか私は、辿り着くのだろうか・・・?

題名通り、自分が子供(家を出た若いとき)の頃の父の姿を思い出している息子。

旅に出た時も、帰郷してさらに、深くその思いが強いこと。

夢を追いかける自分に、何も口出しをしなかった父親。

その思いを自分は分かる日が来るのだろうか。

という妄想。

 

2005年「砂丘の図書館」

「夢を持て」とはげまされ、
「夢を見るな」と笑われる。
ふくらんで、やぶれて、
近づいて、遠ざかって、
今日も夢の中で 目を覚ます。

「きょう」とあるので、息子はまだ夢を追っている最中なのかと。今でも夢を見ていると勝手に解釈。

2006年。「未知の力」

逆らいながら奪われて・・・
流されながら見失う。
誰もがその戸惑いの中から学ぶのだ。
ああ、本当の私に帰っていきます。

この辺りからは、息子の現状が思い描けます。

夢に向かって故郷を離れ、日々、闘っているような、そんな中で、もがきながら自分を見つけていく。

そんな回想をしてしまいます。

そして、今の私にも当てはめてしまい、ぐっときました。

2011年「黄昏の想い出」

あの頃の私に出会えたら、どんな言葉をかけよう。
深呼吸をして前を向く。
降り積もった日々が、私の背中を押します。

若い頃の自分と今の自分との対比に聞こえます。

若いころの気持ちと比べて、成長している自分がいるという思いがあるような文面です。

2012年「振り返ると明日」

思えば、守れない約束ばかりだった。
会いたい人と会えない人。
風の便りは、いつも風向き次第。
どうか、タイムマシンが発明されませんように。
目を閉じるだけで、十分です。

息子も大人になって、昔を思い出すようになる。

あの頃の父と同じくらいの歳になっている息子の姿。

「あの頃の自分に出会えたら」と言っているのに、「タイムマシンが発明されませんように」と言っている。

ということは、一期一会、色々な人との出会いや別れを経験して、成長した今の自分に満足しているのかな。

そんな想像。

 

2012年。「昭和の母」

手触りも 温もりも、
今では、失われたパズルのかけらのよう。
雨ざらしの記憶の中で、
鮮やかによみがえる人がいます。

母のことも思い出す。

もしかしたら、亡くなって随分経っているのか。

もしくは、今から会う母を思っているのか。

大人になって、焼酎を飲みながら母のことを思う息子。

 

2015年「孤独の風」

なぜこの道を歩いてきたのか・・・
目を閉じて、見つめる。
立ち止まったまま、遠くへ旅立つ。
誰かのためではなく、
自分のためでもなく・・・
何かひとつ、 あなたの心に残したい。

父のことを思って。と考えたのですが、もしかしたら、自分の子供のことか?

と、この時点で3代になるんじゃないかと、深読みしたわけです。

父と息子とその子供。

 

そんな解釈をしたCM。

この先もどんなキャッチフレーズが出てくるのかが楽しみです。

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