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茨木のり子さんのぐっとくる詩

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茨木のり子さんの詩は、最近ではCMでも流れているのでご存知の方も多いと思います。

私は茨木のり子さんを知りませんでした。

 大人になって働き出してからあるネットで初めて見て、心をわしづかみにされました。

それからは、何かあるたびに読み返してしまう。

 

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茨城のり子

1926年(大正15年)生まれ~2006年(平成18年)没

詩人であり、童話作家であり、脚本家であった茨木のり子さん。

詩やエッセイなどを読むと、戦前、戦後の空襲や悲惨な体験を乗り越えて「生きる」ということを大切にされていたことがとてもよく伝わってきます。

詩の中のひとつ「わたしが一番きれいだったとき」は多くの国語の教科書にも載っているそうです。

記憶がないのか、私が持っている教科書には載っていなかったのか。

その他にも素敵な詩がたくさんあって、私が心にぐっときたものを紹介します。

「自分の感受性くらい」

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

もう、完全にばかものでした。全部当てはまっていたというか。

まさに全部を全部、人やもののせいにしていました。

そして、自分の心が置かれている状態に気付いた瞬間でしたね。

「あ、乾いてたんだ。」

乾いてるのを気付いてないのだから、水やりもできない。そんな状態。

ただただ疲れていくのを忙しさのせいにしたり、ただただ忙しいのを会社のせいにしたり、置かれている環境のせいにしたり。

それが”ひよわな志”だったことに気づかされました。

「自分で守れ」か・・・。

本当に色々なことに気づかされ、自分自身を見直せる詩です。

他にも色々と素晴らしい詩があります。

 

「汲む」

大人になるというのはすれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい 発音の正確な 素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても 人を人と思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 酷く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう 頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな

年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・
わたしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を ひっそり汲むことがあるのです

わたしもどきんとしました。

隠そうとして隠せなかったのは私ではないだろうか。

もしかしたら大人の人には見透かされてたかもしれない。

そんな風に思ったら、少し恥ずかしさも覚えてしまいます。

初々しさなんてとっくになくなってしまっているけれど、果たして再び手に入れる事ができるのだろうか。

鍛える・・・。鍛えてたのかな。

鍛えてたというよりも、色んなことで自分を武装してきた自分がいるように思います。

言葉や知識や、他の人から見て下に見られない様に。

それって結構疲れたり、自己嫌悪に陥ったりするんです。

この詩を読んで、そんな風に思ってやめた時、ずいぶんと楽になりました。

女性の年齢や、その人と同じくらいになった詩の中の「わたし」は何歳か分かりませんが、いつか私も汲めるときがくるのかな。

詩集の中で助けられたうちのひとつです。

 

「せめて銀貨の三枚や四枚」

言葉をもたない やさしいものたち
がらくたの中で 光っているものたち
私に使われがって ウインクする壺や 頸(くび)をのばす匙(さじ)や ふてくされている樫の木の椅子
いろいろな合図を受けると 私は落ちつかなくなる
文なしの時は
見捨ててゆかなくちゃならないのだから
せめて
銀貨の三枚や四枚
いつもちゃらちゃらさせていよう
安くて 美しいものたちと
ささやかな邂逅(かいこう)を逃さないために

好きな詩の一つです。

骨董市にでもいったのだろうか?と思う詩です。

その中でも、モノとの出会いを大切にしている様がわかりますよね。

すごく共感してしまいます。

例えば、外国のお土産やさんで、それこそ骨董市やらで、もう出会わないかもしれない、手に入らないもの。

ひとめぼれ。

買おうか悩んでやめたときに、帰って後悔したことは何度もあります。

買って後悔するものあるんですが、それはきっと「合図」じゃなくて、自分の欲だったかな。と感じました。

そんな日常の中にもささやかな出会いがあって、それを大事にしたいと思う気持ちが大切なんだな。と感じます。

自分が欲しくて探しているという状況ではなく、散歩や、ふと立ち寄ったお店で思わず出会ったモノについての詩だと思うんです。

いつも何も持たずにフラッと出かける主人公が目に浮かびます。

その感じも好きで、優雅というか、自由というか、追われていない生活が浮かんでしまいます。

 ふわっとした気分になる詩です。

 

「一人は賑(にぎ)やか」

一人でいるのは 賑やかだ 賑やかな賑やかな森だ
夢がぱちぱち はぜてくる よからぬ思いも 湧いてくる
エーデルワイスも 毒の茸も

一人でいるのは 賑やかだ 賑やかな賑やかな海だ
水平線もかたむいて 荒れに荒れちまう夜もある
なぎの日生まれる馬鹿貝もある

一人でいるのは賑やかだ
誓って負けおしみなんかじゃない

一人でいるとき淋しいやつが 二人寄ったら なお淋しい
おおぜい寄ったら だ だ だ だ だっと 堕落だな

恋人よ
まだどこにいるかもわからない 君
一人でいるとき 一番賑やかなヤツで あってくれ

これは、茨木のり子さんの旦那さんが亡くなった後に書かれたものです。

かといって、結婚したことのある人に向けた詩ではないんじゃないかと解釈しています。

死別してしまったけど、淋しいなんて思ってない、むしろ賑やかだと歌っている。

現代社会のおひとり様を考えてしまいます。もちろん、お一人様にだって色々あります。

そして、なんにせよ「一人は楽しくて淋しいものではないんだ」と思える詩。

実際、私は一人が好きで、旅行も一人で行くのが楽しいです。

淋しいなんて思ってことはなくて、「すごいね、一人で」と言われればまだうれしくて、「淋しいわね」なんて言われた日には、「一人の楽しさを分かってないわね。」なんて意地になってしまいます。

そんな私の思いを受け入れてくれた詩です。

 

ほんの一部に過ぎませんが、毎回なんだか救われた気持ちになる茨木のり子さんの詩。

気持ちが沈んでしまったときや、思い詰まった時に読み返したい。

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