私が「この世界の片隅に」を初めて見たのはアニメ映画でした。
2016年に映画化され、当時はロングセラーとしてニュースでも取り上げられていました。
機会が合ったら見たいな。くらいにしか思ってませんでした。
そして、たまたま家の工事が入り家にいられなかったので見に行った映画。
平日も関わらず満員。
映画が始まったとたんに「この世界の片隅に」という言葉とコトリンゴの音楽で泣きそうになり、のん(能年玲奈)さんの声がピタリ過ぎてすんなり物語が入ってきます。
隣に座っていたおじさまはずっと鼻をすすっていました。
私も泣きそうになり、見られたくないとそそくさと映画館を一番先に出てしまうほど。
たまたまでしたが、見て良かったな。いや、見なくてはいけなかった。
漫画を買ったのは映画を見てからです。
やっぱり原作も読みたくなってしまいました。
漫画「この世界の片隅に」
漫画は上・中・下巻の3冊です。
もちろん物語の内容は映画と一緒で、昭和9年から第二次世界大戦時の頃。広島の呉にお嫁に行くすずの話。
映画では描かれていない細かなシーンもあります。
言葉の表現ではなく、表情や行動を絵で描いているので少しわかりにくい部分もありますが、それがわかるとなじみが良い。
・・・う~ん。なんといえば良いか難しいんですが、スッとする。納得する。「ああ」となる。
4コマ漫画でオチの意味が分からなく、分かったときと同じ感じです。
すずの子ども時代
先祖には先祖の
おとなにはおとなの
こどもにはこどもの
世知辛い世界があることを思い
これは8月とあるのでお盆の時期なのでしょうか。祖母の家に行きお墓参りに行く場面です。
「苦労のし通しで」「やあ難しいですわい」などと大人が話している中、昼寝中なのか子どもたちが雑魚寝をしているんですが、兄に蹴られているすず。
それを世知辛いと言うのか。と笑ってしまう。
お兄ちゃんを「鬼イチャン」と称した漫画も描かれていておもしろいです。
子ども時代には、すずがどのような性格かが少しず分かってきます。
学校で午後の授業が絵をかいて提出するというシーンでは、友達にこんなことも言われています。
ええねえ すずちゃん上手いけえ
午前中寝とっただけあるのう!
所々にクスっとしてしまうセリフもあって、私はすずを好きになって行きます。
子ども時代だけではなく物語全体を通してすずの行動に対し、親族や友人からの一言が突っ込んでいてちょっと笑ってしまいます。
すずが嫁いでから
呉に嫁ぐことになったすずですが、結婚式に出席できなかった兄に手紙を出します。
絵で説明する手紙も素敵で、真剣な表情をしたと思ったら自分の嫁ぎ先の住所を覚えていなかった。というシーンなども笑ってしまいます。
私の理解力が乏しいのかもしれませんが、すずの感情が絵によって表現されていることが多いので、たまに「?」となるところもあるんです。
映画を先に見ていると分かりやすいのかな。
映画にもありますが、もんぺの作り方や手に入らない食料をいかに調理するかなども載っています。
すずがカサ増ししたお米をみんなで食べたときの絵は笑い声が出てしまった。
すずが迷子になるシーン
ある日砂糖を全部ダメにしてしまったすずが、お母さんからへそくりをもらって街に買いに行きます。
そこで迷子になるんですが、そこのセリフが思わず笑ってしまいました。
いまにお砂糖が百五十円ぐらいになって
キャラメルやなんか百円でも買えんくなって
靴下だって三足買うたら千円にもなる時代が来やせんかね・・・
そんとな国で生きてけるんかね!?
ほいで ここはどこね!?
作者の遊び心とすずの性格が合わさって笑ってしまう場面。
高くて買えないのって相当だと思うんですが、そこをクスっとさせてしまうのも良いです。
迷子になったときにある女性に助けられますが、別の用事でまた街へ来たときに会いに来ます。
この2人のやり取りがまたおもしろい。
誰でも何かが足りんくらいで
この世界に居場所はそうそう無うなりゃせんよ
とぐっとくるセリフも出てくる。
居場所はあとでも出てくるキーワード。
この女性が旦那さんの周作と昔関係していたことを察する場面は少し切ないです。
その後出てくるすずの恋心も切ないのです。
周作のお姉さん
周作はすずの旦那さん。
周作のお姉さん径子は娘を連れて嫁ぎ先から戻ってきます。
これが物語としてはカギを握るところでもあります。
お姉さんの子供はまだ5歳か6歳か。その子を「晴美さん」とさん付けで呼び敬語で話すすずもかわいい。
お姉さんは少し意地悪ですが、読み進めていくとお姉さんにも色々あって淋しくなります。
周りの言いなりに知らん家へヨメに来て
言いなりに働いて
あんたの人生はさぞやつまらんじゃろ思うわじゃけえ いつでも往(い)にゃええ思うとった
ここがイヤになったならね
~省略~
すずさんがイヤんならん限り すずさんの居場所はここじゃ
くだらん気がねなぞせんと自分できめ
すずが腕を無くして少し心が崩壊したかのように描かれています。
そして「広島へ帰る」と決め荷造りをしている場面でのお姉さんのセリフです。
ずっと居場所について考えてるすずに対して言ったこのセリフは、すずが救われたんだなと思うように感じます。
本当は優しい。
この辺りは「火垂るの墓」などとは違うところだな。
あのおばさん、本当に怖かったもんな。
どちらが本当だったかというのはここではあまり関係なく、そういった状況になっても優しさを忘れてはいけないと思わされます。
実際に自分がその状況下に置かれたら優しくできるかはなぞですが。
終戦
広島での原爆の風景も、他のドラマや映画のようにはっきりとは描かれていません。
それもまた、この作品中の人物の日常の生活を中心に描かれていることがわかります。
そして、ラジオ放送で終戦を知ったすず
そんなん覚悟のうえじゃないんかね
最後の一人まで戦うんじゃなかったんかね
いまここへまだ五人もいるのに!
まだ左手も両足も残っとるのに!!
うちはこんなん納得出来ん!!!
自分も暴力に屈することなく強くなりたいと覚悟を決めたすずは、涙を流します。
細かい気持ちは書かれていません。
そういえば戦争の話は見たり聞いたりしますが、終戦を知ったときにどう思ったのかはあまり聞いたことがないかもしれない。
うちの両親は戦中生まれですが、母は小さかったのでほとんど記憶がなく「ある意味戦後生まれだ」と言います。
なんじゃそりゃ。
第二次世界大戦と聞くと「壮絶だったんだろう」というのが先に頭に浮かびますが、日本国内でもあまり被害もなく生活していた人もいると教えてくれました。
ただ、父は長崎でまだ3歳くらいだったにも関わらず、遠くで見えるきのこ雲はいまだに鮮明に記憶にあるそうです。
戦後は「ギブ・ミー・チョコレート」だったそうです。
すずが泣いたのは、今まで勝つと信じてやってきたことに裏切られた悔しさなのか。あまりにも大きな犠牲があったからなのか。
「お国の為に」と育てられたからなのか。そこに希望があったのからなのか。
いくら話を聞いたところで、戦争を体験していない私には理解するのに少し難しい感情なのかもしれません。
「この世界の片隅に」は戦時中の話で、戦争中の大変さや戦後の苦しみのようなものも描かれています。
ある場所で倒れていた男性が自分の息子で、服も顔もべろべろでそのことに気づかなかった近隣の奥さん。
壁に残された髪の毛。
すずの妹が広島で被爆したであろうと思わせる場面。
その中で、ささやかではあるが笑いあう家族。
だいいち泣いてばっかりじゃ勿体ないわい
塩分がね
と、近所の人もジョーダンを言って優しいんです。
とにかく出てくる人物が優しいくて笑いあう。
そういった性格として描かれているのかもしれませんが、作品中のすずは、お金やモノがなくても楽しんでいるように感じるんです。
果たしてそれが楽しいのか。ということはもちろん描かれていませんが、でも、楽しむためにちゃんと考えてると思うんです。
「生きる強さ」ということや「生活の苦しさ」というよりも、生活の中にも楽しめることはたくさんあって、現代だからこそ忘れていることではないだろうか。
忙しいがメインになってる生活をしてはいないか。
楽しむことを忘れてないか。
と思わされた。いうのが私の感想でした。
生きる楽しさはささやかで良いんだと学んだ作品です。