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ぐっとくる『川上弘美~センセイの鞄~』

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「センセイの鞄」は、2001年に発行された川上弘美さんの作品です。

2003年にはドラマ化、映画化もされています。

さらに2009年にはコミックも出ています。

30歳年の離れた主人公と先生の日常が描かれた、恋愛ストーリーです。

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センセイの鞄

この作品に初めて出会ったのは 映画でした。

主演は柄本明さんとキョンキョン。

なんだか、かわいらしく、ほのぼのとした映画だった。というのが私の印象です。

その後何年かして、友人に「この本いいよ!読む?」と紹介されて、”あっ、映画は見たことある” くらいの感じでした。

映画の内容も少し忘れかけていたので「ま、読んでみるか」くらいの気持ちで読み始めたのですが、これがなんとも、なんともいい。

山場があるとか、ハラハラするとか、そういうのではないんですが、それでものめり込んでしまう。

しらずに口角が上がっている。そんな感じです。

読み終えてから、また、映画を見てしまいました。

いつも本を読むと映像化されたものが違う感じがしてしまうのですが、この映画は良かった。

 

冒頭

「キミは女のくせに一人でこういう店に来るんですね」

主人公の月子がよく行く居酒屋で、高校の時の国語の先生に出会う場面です。

「キミ」というのも、なんだか先生っぽいな。と思いながら読み始めました。

 

センセイの家で

「まだ電池が残っているんですね」センセイは静かに言った。
「モーターを動かすほどの力はないが、ほんの少し生きてる」
「ほそぼそ生きてるんですね」と言うと、センセイはかすかに頷いた。
「そのうちに全部死に絶えるけれどねえ」のんびりした、遠い声である。

居酒屋で一緒に飲むようになって、センセイの家へ行った時の場面です。

センセイの奥さんは亡くなっていて、一人暮らしをしています。

色々なものを捨てられないセンセイが、捨てられないものの中に電池があるくだりです。

電池に生死を思う。素敵です。

確かに、物には寿命があって、、、なんて言いますもんね。

ちゃんと、命を感じられるセンセイ。

そういう風に感じられる様に生きていきたいな。

月子が37歳と冒頭に書いてあるので、センセイは67歳という事になりますかね。

そのうちに全部死に絶える。というのは、自分のことを考えているかのような感じに聞こえてしまいます。

もしくは奥さんのことなのか。

 

色気の話

そういえば、ツキコさんのする酌は色気がないね、と以前会社の同僚に言われたことがあった。
色気という言葉も大時代だが、酌をするのが女であるというだけで色気を求めることも、大時代である。

再度映画を見ていて、ちょっとだけしっくりこない理由がそこなんじゃないかと思いました。

キョンキョンには色気がある。ツキコさんにはない。

色気を出すのも難しいですが、色気をなくすのも難しいんですね。

本では、この後に「色気がない」と言われた同僚とのやり取りも面白いです。

 

八の市

「センセイ、注文しなれてますね」と言うと、センセイは頷いた。
「ひとり住まいですからね。ツキコさんは料理、なさいますか」
「恋人がいるときはするんですがねえ」と答えると、センセイは真面目に肯いた。
「それは道理だ。ワタクシも恋人の一人や二人、つくればいいのでしょうね」
「二人もいると、たいへんでしょう」
「二人が、まあ限度でしょうね」

これも最初の方。

二人で「八の市」へ出かけ、お昼にお弁当を買う場面です。

こんなやり取りが、かわいらしい。なんだかほっこりしてしまうんです。

だからどんどん読んでいってしまうんです。

「喉がかわきませんか」センセイが聞いた。
「でも、夕方にビール飲みますから、それまでは何も口にしません」答えると、センセイは満足そうに肯いた。
「よくできました」
「テストだったんですか」
「ツキコさんは酒にかんしてはできのいい生徒だ。国語の成績の方はさっぱりでしたが」

これもそうですね。

センセイはちょっとだけいじわるで、それを怒らないツキコさん。

言い返す事もあったりするんですが、そのやり取りに羨ましさすら覚えます。

30歳離れているので見ようによっては親子のような感じもしますが、お互いを少しずつ知っていく恋愛の要素は読み取れます。

 

キノコ狩り

「センセイその恰好で山登るんですかい」
~省略~
センセイは、ツイード地の背広の上下に革靴である。
「よごれるよ」トオルさんがつづけた。
「よごれてもよござんす」センセイは答え、鞄を右手から左手に持ちかえた。
「鞄、置いてったらどう」サトルさんが言う。
「それにはおよびません」センセイは落ち着きはらって答えた。

これは映画でも出てくるシーン。

ひょんなことから居酒屋の主人とキノコ狩りへ行くことになった場面です。

私はなんだか、センセイの事が好きなってきた。

そんな部分です。

キノコ狩りの話は、センセイと奥さんの話もあって、センセイのことがわかる内容で好きです。

土曜日の話

湯をおとして浴槽をささっとみがき、頭にタオルだけをまきつけただけの裸姿のまま、部屋の中を闊歩した。
一人でいるのはいい、と思う瞬間である。

うふふ☆わかるわかる。と思う瞬間である。

目次では「多生」というところですが、月子の土曜日の過ごし方について書かれている部分です。

この話の中には炭酸水が出てきますが、月子が好んで常備しているのがウィルキンソンの炭酸水。

私は以前からウィルキンソンの炭酸水を使うことが多いので、入り込んでしまったところでもあります。

この話の回はこの後も、土曜の夕方に外に出たらたまたまセンセイと出会い居酒屋に行き、酔っ払いに絡まれたり。と。気持ちが揺れ動く回です。

 

花見

わたしはセンセイのことを思っていたのだ。
センセイが自分のことを「歳だ」などと言ったことは、一度もない。
気軽に「歳」をもてあそぶ年齢でもないし、質でもないのだろう。
ここに、この道に立ってる今のわたしは、センセイから遠かった。
センセイとわたしの遠さがしみじみと身にせまってきた。
生きてきた年月による遠さではなく、因って立つ場所による遠さでもなく、
しかし、絶対的にそこにある遠さである。

ツキコさんは詩人だな。

たまに感傷的になるんですが、その言葉がまた、心にぐっときてしまいます。

これは、センセイに誘われて花見に行ったら同級生に出会い、その同級生との距離が近ずく場面です。

同世代の男性から言い寄られ、良い雰囲気になっているのにセンセイのことを考えている。

 

大人について

いっぽうのわたしは、たぶん、いまだにきちんとした「大人」になっていない。
小学生のころ、わたしはずいぶんと大人だった。しかし中学、高校、と時間が進むにつれて、はんたいに大人ではなくなっていった。
さらに時間がたつと、すっかり子供じみた人間になってしまった。
時間と仲良くできない質なのかもしれない。

同級生だった男性に旅行に誘われるシーンです。

両行先の旅館は美味しい料理が出るところで、そういうところを選ぶその男性と自分とを比較した場面。

これは、私は、わかります。最近めっぽう子供じみてきています。

昔から子供だったのかな?って考えてた時。そうか、昔はちゃんと大人だったのかもしれないと。思いました。

失敗した。大人は、人を困惑させる言葉を口にしてはいけない。
次の朝に笑ってあいさつしあえなくなるような言葉を、平気で口にしてはいけない。
しかし、もう言ってしまった。なぜならば、私は大人ではないのだから。

同級生の男性に旅行に誘われた後に、居酒屋でセンセイに会って気づいたらセンセイの家で寝てしまっていた。というくだりです。

かわいいですよこのシーン。

子供ならこんな風には思わないいんだろうけど、子供みたいなツキコさん。かわいいです。

センセイとの会話も熱量の差が伝わってきます。

 

叔母さんの言葉

「育てるから、育つんだよ」と、そういえば、亡くなった大叔母が生前にしばしば言っていた。
~省略~
大事な恋愛ならば、植木と同様、追肥やら雪吊りやらをして、手をつくしことが肝心。
そうでない恋愛ならば、適当に手をぬいて立ち枯れさせることが安心。

これは月子のなくなった叔母さんが言っていたという言葉。

ほぉ~~。

っと、納得。自ら、枯らすのか、、、。

なんて。思ったりして。

 

最後は泣きました。思い出しただけでも泣いちゃう。

 映画を見ていたので、最後はどうなるか分かってたのですが、泣きました。

かわいくて、冗談めいていて、ほのぼのしてるかと思いきや、感情を動かされる。

そんな一冊です。

 

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