心にぐっとくる広告

『宝島社広告』がぐっとくる

心にぐっとくる広告

宝島。。。

初めて見た時の衝撃が、いまだに忘れられません。

なんだかこころにぐっときてしまって、寝られなかった。。。

宝島社

「宝島」という雑誌のイメージしかなかったんですが、色々雑誌出てるの知りませんでした。
 
いや、宝島社の雑誌を手に取って読んでるのに、それが宝島社だというのを意識しないで読んでました。

・smart
・リンネル
・InRed
・sweet
・SPRiNG
・CUTiE
などなど。 

ほとんど読んでます。

毎週、毎月読んでるのもあれば、毎回買ってコレクションしてたものもあります。

さらに、こんな広告があるなんて知りませんでした!

ちょっと突っ込んだ広告が多いです。

おもしろいと思うか、反発するかは人それぞれですが、確実に芯を突いてきます。

好きでも嫌いでも、ぐっとくる力があります。

2006年

団塊は、資源です

団塊は熱
いるだけで密度のちがう空気を放つ

団塊は波
引いたかと思えばまた寄せてくる

団塊は数
ばらばらに見えてたちまち整列する

それが自覚であれ無自覚であれ
団塊はその魂で 前にある壁を蹴散らし
あとには瓦礫と足跡と道を残す
埃っぽく騒々しい しかしそこには痛快がある

日本はこれからも年齢を重ねていく
しかし老いとはちがう何かが待っている気がする
かつてどの時代 どの国でも起こっていないことを
団塊がしでかしてくれる気がする
団塊はエネルギー
しぶといしぶといエネルギー
きっと団塊は死ぬまで退場しない
あとの人々は半ばあきれながらも楽しそうに
彼らの背を追いかけていく

 

戦後第一次ベビーブームとして生まれた団塊の世代。

高度成長期の真っ只中で働き、さらにバブル時期にバリバリ働き、遊ぶにも欧米スタイルを取り入れ、この広告の2006年頃には、何百万人もの団塊の世代がもうすぐ定年だと 騒がれていた時代です。

何もかもを初めて、体験する世代。

彼らが定年後、日本経済が変わるとまで言われた世代。

しかし、それでも彼らは強いと。称えるような広告です。

私自身、個人で見るようにしてるけど(だってひとはそれぞれだから)、それでも自分と違う価値観や感覚を持っていると「世代だね~」なんて言ってしまいます。

新しいことをするのは若い人たちだけではない。

広告としては、団塊世代へのエールとともに「老い」ではない新しい発見ができるはずだ。という意図もあるんだそう。

私たちは自ら道を切り開いてきたつもりが、実はすでに道があったのかもしれません。

2008年

日本人に もっと毒を。

汚い、といって電車のつり革に触らない人は、逆に不健康だと思う。
毒気など無縁の顔で理想ばかり語っていた政治家は、あっさりと折れてしまった。
お人よしがどれだけ罪かということを自覚しない国が、外交で失敗ばかりする。
毒とは何かを知らないコドモほど、人に平気で毒をかける。
あるいは自分にさえ毒をかけて、あっさりと死んでしまう。
あるいは「人に嫌われたくないから」という呪縛を自分にかけて、
少しずつ少しずつ、自殺しながら生きている。
いい毒は薬。毒に触れ、毒を知り、ある時はそれを解毒しながら、
ある時はそれを別の毒にぶつけながら、
人は、自分の中に、やわらかで逞しい免疫力や想像力を育てていく。
とんでもなく悪いことをする人間は、ほとんどの場合、この二つが決定的に欠けている。
さてこれからの子どもたちはどういう風に
毒を知り、人間を、世の中を、世界を知っていくのだろうか。
突然ですが。立川談志さんのような人には、ずっと居つづけていてほしいと思う。

いい毒は薬。

テーマは「本の力、活字の力」だそうです。

現代の情報社会、活字を知ってほしい。という事なのだそうですが、それにしても、深い。

子どもの育て方や、ましてや自分の育て方までをも考えさせられてしまいます。

自分は毒をもっているのか。それを毒と知っているのか。そしてちゃんと解毒できているのか。「いい毒」とは何かを理解できているか。

 そんな風に考えてしまいました。

考えたけど、いまだ答え出ず!

その判断ができるようになるのも活字や書籍の力ではないでしょうか。というのがこのテーマの意図。

私は子供の頃、本が苦手でした。

読むのも遅いし、本を読んで理解して頭に定着させるのがとにかく苦手でした。

漫画はかなり読んでました。

本を読んで面白いと思えるようになったのは大人になってからです。

漫画も人を成長させるものだと思ってたし、そういう漫画もたくさんある。

「諦めたらそこで試合終了ですよ」は、何かあると必ず浮かんできます。

活字は良い。漫画はダメ。という事ではないと思います。

漫画だって毒は知れる。

良く本を読むようになって感じたのは「こんなに素晴らしい表現が文字だけでできるなんて知らなかった」ということ。

きれいなことも、汚いことも、危険なことも、幸せなことも。

それが毒を知るという事とは同じではないかもしれないけど、自分の中の表現の仕方や考え方が変わったのは活字だったかも。

2016年

「死ぬときくらい すきにさせてよ」

人は必ず死ぬというのに。
長生きを叶える技術ばかり進化して
なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。
死を疎むことなく、死を焦ることもなく。
ひとつひとつの欲を手放して、
身じまいをしていきたいと思うのです。 人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。
それが、私の最後の欲なのです。

写真が樹木希林さんです。樹木希林さんはこんなことを言っていたそうです。

「生きるのも日常、死んでいくのも日常」

 [死というのは悪いことではない。それは当たり前にやってくるもので、自分が生きたいように死んでいきたい。最後は、もろとも宇宙の塵になりて。そんな気持ちでいるんです。」

死について考えることで、どう生きるかを考える。

確かに、生きてる間は「どう生きるか」というテーマの方をより考えます。

近年、医療の発達はめまぐるしく、近い将来120歳まで生きることが普通になる時代が来る。という話を聞きました。

再生医療や技術の進化で、治すことが難しいとされている病気や怪我などが治せるようになるからなんだそうです。

素晴らしい。けど、それを踏まえて、死について考える。深く考える。深く深~く。

死生観は人それぞれ。私はどうやって死んでいきたいんだろう。

 

今回は3つを書きましたが、1998年から今日まで30近くもの広告が発表されています。

これからの広告も楽しみです。