江国香織さんが好きです。
言葉の使い方がきれいですよね。私としては、本に入りやすい作家さんの一人です。
降りる駅で乗り過ごすこと多々。
「ウエハースの椅子」です
ウエハースの椅子は、子どもの頃の話から始まります。
現在の恋人との生活の話ですが、子どもの頃の話はちょこちょこ出てきます。
近所のパン屋、美容院と言った日常のことも描かれていますが、心が落ち着いているのになぜか揺れるような書かれ方をしていて入り込んでしまいます。
冒頭からやられます。
かつて、私は子供で、子供というものがおそらくみんなそうであるように、絶望していた。
たまらないです。
職業かのように「子供」と書いてしまう感じとか。
でも、子供というのは「子供」という職業なのかも。思ってしまいます。
そして、絶望。
子供の頃の色んなキライや憂鬱が、「絶望」という言葉になってしまう。という感覚。
自分の子供の頃のことを思い返してみても嫌な事や憂鬱なことはたくさんありました。
でも、この本を読んで「ああ、あれは絶望だったんだ」と思ってしまった。
主人公の大人な感覚。
そして、絶望はちょこちょこ出てきます。
絶望がいう。絶望は子供のころの話がすきだ。
じゃあまた。よくおやすみ。
そう言って絶望はでていき、私はようやく眠ることができる。
人の名前のような。
“そんな使い方あったのか!!”と、こちらが絶望してしまいそうな、そんな言葉の使い方します。
本当にもう、ため息が出てしまいます。
そして、ジュリアンのことについて(一番好きなところです。)
私たちはみんなジュリアンを愛していたけれど、ジュリアンはそれにのみこまれなかった。
私たちの愛情を信じてはいたが、それに甘えたり、それに過信してはいなかった。
愛情というものの扱い方を、家中の誰よりも心得ていたのだ。
私は敬服してしまう。
~中略~
優雅で穏やかで、そして孤独を受け入れていた。
ジュリアンって犬なんですよ。
実にクールな犬です。自立している感じが伝わってきます。
愛情に対して「扱う」と言う表現とかは、たまらなくぐっときてしまいます。
愛されているのにも関わらず、孤独。それを受けいれている。
くぅ~。たまらない表現の仕方!!
世界は皆、孤独なのかもしれない。
もしかしたら、普段私は自分勝手に人の想いに甘えたり、過信したりしてるのかも。
と思わされました。
いい意味で「自立」できてなかったのかもな。
人や、動物や、物や感情の自由な表現を教わったのは江国さんの作品でした。
普通の人間なので、固定観念にとらわれまくってました。
言葉のチョイスは無限にあって、しかしそれは、基礎があってこそなんだと。
できそうでできない。
さすがの一冊です。