ある日ふと手に取ったやなせたかしさんの詩集。それまで私は「アンパンマン」と「手のひらを太陽に」しか知りませんでしたが、詩を読んだ瞬間、心をつかまれました。
そう思った私は、いくつか詩集を読みましたが、どれも全部いいんです。
「やなせたかし詩の一覧」とまではいきませんが、いくつかピックアップしました。
(思いのほかたくさんになってしまいました💦)
ちいさなてのひらでも
「ちいさなてのひらでも」は、≪希望≫篇と≪幸福≫篇に分かれています。
やなせたかしさんの「希望」「幸福」という詩画集(ポストカード集)が出ていますが、「ちいさなてのひらでも」は再構成・編集したものです。
他の詩集に載っているものをポストカードにしたのかな?別の詩集に載っているものも多数です。厳選してポストカードにしたのでしょう。
「ちいさなてのひらでも」の本の後ろには、花き卸の陸前高田の松の木のインタビューも載っています。
≪希望≫「希望」篇
一寸先は闇といいますが
一寸先は光かもしれない
人生というのは
思うようにはいきません
基本的には
愛別離苦
さよならだけが人生ですが
パンドラの箱の最後に
希望が残されていたように
喜怒哀楽はくりかえす
あんまり
あっさり絶望して
あきらめない方がいい
希望を捨ててしまって
せっかちに
絶望するのはもったいない
明けない夜は
ありません
冒頭からやられました。
【参考までに】
「さよならだけが人生だ」というのを聞いたことがある人もいると思いますが、「さよならだけが人生だ」は、于武陵(うぶりょう)の漢詩である「勧酒」(かんしゅ)を、井伏鱒二が訳したものです。
「明けない夜はない」はシェークスピアかな?
このページから目が離せなくて、何度も読み返してしまいました。
「絶望」は、あっさりしたりせっかちにしたりするものだったのか。
こういう言葉のつなげ方がすごく好きで、いつもハッとさせられます。言葉は自由で良いんだなと。
寂しい感じのする詩ですが、寂しさと希望がグラデーションになってるようで、なんだか心にぐっときました。
≪絶望のとなり≫「希望」篇
絶望のとなりに
だれかがそっと
腰かけた
絶望は
となりのひとに聞いた
「あなたはいったい
だれですか?」
となりのひとは
ほほえんだ
「私の名前は
希望です」
絶望くんと希望ちゃんだろうか。それとも絶望さんと希望先生だろうか。
「絶望というやつは、希望からのみ生まれる。だが人間、全く希望を持たずに生きるのも困難。つまり、人は絶望とともに生きるほかないという事だ。」
後になって、「希望と言うのは、絶望から生まれる」というラッセルの名言なのかもと気づきましたが、だからつまり、「絶望」と「希望」は2つで1つなんですね。
表裏一体と言うよりも、隣りあわせなんでしょうね。
≪感謝≫「希望」篇
ごはんつぶ
ひとつぶづつに感謝
おかげで
生きていかれます
この詩のもとはもう少し長い詩で、言い方も異なる詩が「人間なんておかしいね」という詩集に載っていました。
ごはん粒
ひと粒に感謝
水一滴に感謝
おかげで
生きていかれます
ごはん粒ひと粒づつに感謝
ああこんな風にしていると
食事にとても
時間がかかるなあ
「最後のひと粒まで食べなさい」と子供の頃に怒られた記憶がありますが、そこには感謝があったかなぁ。と思い込んでしまいました。
生きるという事は食べることだと最近よく思うのですが、そのことを忘れやすい世の中ですよね。コンビニにスーパー、ファミレスにファーストフード店。
「太っちゃった(;´Д`)」じゃなくて「太った(*´▽`*)」が感謝なのかもね。いや、もちろん食べ過ぎてはいけませんが(。-∀-)
時間がかかるくらい感謝してみようかな。と思いました。反対に痩せるかもね。
≪幸福≫「幸福」篇
幸福というのはなんでしょうね
よく解りません
たとえばおなかを空かした時
いっぱいのラーメンが
とてもおいしければ
それが幸福かもしれません
健康でスタスタ歩いている時は
気づかないのに
自分が病気になってみると
それがどんな幸福だったのか
はじめて気がつきます。
不幸になった時
はじめて幸福が見える
ごくありふれた日常の中に
さりげなく
ひっそりと幸福は
かくれています
やなせさんが亡くなったのは94歳という高齢でしたが、それまではたくさん病気をされたそうですね。心臓病、膵臓炎、腸閉塞、腎臓癌、膀胱癌などなど。
また、戦争体験の中で経験した飢え。
だからこそ、日常のささやかな幸せに気づきやすいのかもしれませんね。
私は交通事故や病気もしましたが、その時は「空気を吸えるって幸せなんだなぁ」と感じました。元気になると忘れちゃうんですね。
かくれてるから、ついつい見逃しちゃうんですね。
≪いたみ≫「幸福」篇
ことりが指に止まった
かすかな重さ
ちいさないのち
指にささる爪の
愛らしい痛み
小さいけれど、力強く生きてる。そう思うと愛しくなりますね。
赤ちゃんが自分の指を掴んだときみたいな、そんな状況を思い出してしまいました。
人間なんておかしいね
1996年発行の「人間なんておかしいね」は、やなせたかしさんが筆で書いた文字がそのまま載っています。
「さりとて上手にはかけないが 下手でも字のうち 読めればいい」というまえがき。
子どもの頃から字が下手だったというやなせさんですが、ワープロ、パソコン、インターネットなどの時代にかえってカッコイイとも思ったんだそう。(これはあとがき)
手書きの文字だからこそ伝わってくる暖かみがあります。
「人間なんておかしいね」の中に出てくる詩は、題名が書かれていません。
幸福は
幸福なひとには
みえてません
もしも不幸に
なったなら
そのとき
幸福が
みえるはず
「幸福」という詩にもつながる内容ですね。
「幸せな時は不思議な力に守られてるとも気づかずに けどもう1回と願うならばそれは複雑なあやとりの様で」
病気にしても恋にしても、何かを失ってはじめて、日常のふとした幸せに気づかされるんだなぁ。と、夜な夜な感傷的になっとります。
生きていくということは
とてもつらい
おだやかな美しい眸の牛を
ビフテキにしたり
くるくるしっぽの
かわいい豚を
トンカツにしたりして
平然としている
生きるってことは残酷
そのへんがつらいなあ
人間は罪深い
この詩は、「さびしそうな一冊の本」とい詩集の中にある「生きていくということ」という詩に似ています。少し変えたのかな?
≪生きていくということ≫
生きていくということは
とてもつらい
学校の理科の時間に
蛙のかいぼうしたりする
蛙にとってはめいわくだ
宿題に昆虫採集があったりする
蝶の標本はきれいだが
蝶はあんまりうれしくないだろう
ぼくらは
なにかしらめいわくをかけて生きているぼくはすべての動物が好きで
蟻さえもふみつぶせない
心はやさしい方のつもりでも
たまごやきたべたり
ビフテキたべたり
罪もない豚を
トンカツにしたり
ハムにしたりして平然としている
考えてみれば残酷だ
生きるってことは残酷だ
動物のほうからみれば
ぼくも吸血鬼だ
しかたがないとはおもうけれど
そのへんが
どうしてもつらいなあ
人間と言うのは
かなしいなあ
えらそうなこといえないなあ
ビフテキにしたりトンカツにしたり、当たり前にしていることが残酷だというやなせたかしさんだからこそ、ご飯に対して感謝をする気持ちが強いんでしょうね。
「いただきます」は、命(動物でも植物でも)を頂戴するってことですよね。
海外だと食事の前には「いただく」という言葉は使わず、「良い食事を」「食事を始める」という言葉を使って食べ始めます。
神様に感謝する風習の地域もあります。回りまわってすべてのことに感謝することですが、そのものの「命を戴く」と直接表現するのは日本だけなんだとか。
やなせさんの詩の中には、絶望や希望という言葉も出てきますが、食に関してすごく考えちゃう。
ぼくが旅だつとき
母は門口で手をふっていた
ぼくは後ろをもみずに歩いた
こらえきれずにふりむくと
母はまだたっていた
胸のまえで合掌して
けんめいにいのっていた
なんとなくですが、思い浮かべたのは一人暮らしをするときのこと。自分のことではないのに一生懸命に用意してくれた母のこと。
そんな思い出に浸っておセンチになったんですが、もっと寂しそうな、胸が痛むような母の顔がこの詩からは連想されます。
「あぁ、そうか。」と分かったのは、やなせさんは24歳で中国に出征したということ。
詩を読んでどのように感じるかは人それぞれですが、このシーンが出征前のことだと考えたら、泣いてました。
さびしそうな一冊の本
長いあいだ詩集を出さなかったというやなせたかしさん。1980年発行の一冊。
「さびしそうな一冊の本」は、PART1、PART2、PART3と、3つに分かれています。
「この本が読者にめぐりあえるだろうか。それは 偶然の運命にたよるしかありません」と前書きにあります。
詩の中にも、人と人の出逢い、人と物の出逢い、動物との出逢い、色々なめぐり逢いがあり、嬉しさの中に少しさびしさがある。そんな詩集です。
≪さびしそうな一冊の本≫
さびしそうな一冊の本にあったのは
さびしそうな町のはずの
さびしそうな古本屋だった
さびしそうな一冊の本は
さびしそうに本棚で
ひっそりと肩をすくめていた
手にとるひともいなかったのか
さびしそうな一冊の本は
うっすらと埃がおりていたが
少しも汚れていなかった
ページをひらいたあとがなかった
さびしそうな一冊の本は
こうしてぼくのものになった数年たって
さびしそうな一冊の本は
突然ベストセラーになった
今は昔の面影はなく
華やかなビニールカバーで
一流の書店に並んでいる
さびしそうな一冊の本の
本当の価値にやっと世間は気づいたのだ
しかし
なぜだかしらないが
ぼくはずいぶんさびしかった
さびしそうな一冊の本よ
あの頃は
だれもしらない
ぼくだけの
本だったのに
自分の好きな新人の俳優さんとか歌手とかバンドとかアイドルとかで、売れて大きな舞台に立つと、嬉しい反面ちょっと悲しい気持ちになるアレですよね。
「私が先にあの人の良さに気づいてたんだけどな」となるアレ。
壮絶な体験をした中でのさみしさではなく、ちょっとしたことで感じるさみしさの共感。そういうのも良いんだよなぁ。
≪子犬みたいに≫
あなたと
ひさしぶりにあえたとき
心の底から うれしかった
心は 2メートルも とびあがって 私
「うれしい!」
といいたかった
だのに
私は伏目がち
「しばらくでした」
といったきり
ほかに なんにもいえなかった
私は子犬になりたかった
全身で
あなたに甘えたかった
やなせさんの詩には、愛や恋についてもいくつかあって、それがけっこうかわいい。
この「子犬みたいに」はうれしい気持ちを表現していますが、愛しい気持ちだったり別れだったりという詩もあります。
やなせさんの奥様への愛のエピソードも色々ありますが、愛情深いのでしょうね。
それにしても、子犬のように甘えたかったのに伏し目がちの詩の中の主人公は可愛らしい。
は、は、は、歯のおはなし≪歯科詩集≫
日本歯科医師会会長が監修をされた、歯の詩です。
「歯はシ、詩はシ、歯科は詩歌、だからできた歯科詩集」と冒頭。
詩の内容も面白いんですが、後半に≪「詩」と「歯」の豆知識≫なるQ&Aや、日本歯科医師会会長の大久保満男さんとの対談も掲載されていて、かなり勉強になります。
≪お正月の獅子≫
お正月にやってくる
獅子舞の獅子の歯は
全部四角で
ひらべったいから
草食系なんですね
全部金歯だから
全部ムシ歯
だったんでしょうね
赤い顔して
こわそうだけれど
食後に歯の手入れしない
怠け者なんですね
この頃の子供たちは
よく歯をみがくから
お正月の獅子も
めっきり見かけなくなりました
「ほっほぅ~」と納得して笑ってしまいました( *´艸`)
犬歯がない獅子は草食系なのか!?金歯は虫歯だらけだからなのか!?
専門家から見たら実はこう。みたいなのっておもしろいですよね。
獅子舞を見たら、もう、そういう風にしか見れないかも(。-∀-)とも思いました。
≪ドラキュラの歯≫
吸血鬼のドラキュラは
犬歯が
発達している
この発達した
犬歯を
美女のウナジに
つきさすのだ
それならば
ドラキュラと
たたかうのは
歯医者がいい
犬歯を抜歯するか
トンカチで
叩きおってしまえば
貧血気味の
おっさんにすぎない
怖くも
なんともない
これもちょっと笑ってしまった詩です。
想像して夜中にほくそ笑んでます(。-∀-)
こういった詩に子供の頃から触れてたら、見方とか考え方とか、変わるかもしれないですよね。
人生いつしかたそがれてわずかに残るうすあかり
「ぶっきらぼうなこの詩集 ぶっきらぼうに読めばいい」
ページを開いた瞬間にあるこの言葉に、「ふふっ」と笑ってしまいました。
「眼鏡不要で読みやすい」という前書きにあるように、文字が非常に大きく、挿絵の絵の具の感じも美しい。額に入れて飾りたくなる詩集です。
その反面、ダジャレも交えた詩は微笑ましい。
≪幸福≫
生まれた時から不器用で
年老いた今も不器用で
二十代の編集者に
文句つけられて
あやまったり
いつまでたっても下手くそで
巨匠・名人には
なれなかったのは
せめて幸福なのかなあ
年老いたやなせさんの姿を想像して微笑ましくなってしまいました。
空気を読むとか、嫌われないようにするとか、社会ではうまくやるには?みたいなことを検索してしまいますが、不器用に生きたっていいじゃないかって思えます。
私の父は非常に不器用です。仕事しかしてこなかったので家のことができません。たまにやると母に怒られます。子供にも孫にも怒られます。テレビばかり見ていますが、テレビの操作は原始的です。
不器用だっていいじゃないか!
≪ノニ≫
ああすればよかった ノニ
こうすればよかった ノニ
ノニノニ 言ってもかえられない
今頃後悔しても
駄目な ノニ
人生終わりそうな ノニ
それでもノニノニくりかえす
「ノニ」。今だと「タラレバ(もし、していたら、もし、していれば)」とも言いますね。
「タラレバ言うな」と思う人もいると思いますが、90歳を前にして、ノニをくり返すんだなぁと思ったら、それはすごく人間味があるなぁ。と。思ったりして。
たそがれ詩集
やなせたかしさんが90歳のお祝いに出版された「たそがれ詩集」。「人生いつしかたそがれてわずかに残るうすあかり」よりも、さらに文字が大きく書かれています。
自分の目が悪くなったからなんだそうです( *´艸`)
それにしてもハイセンスな洒落。ダジャレを含め笑ってしまう詩集です。
≪ヘン≫
人生が半分くらい
すぎた時
絶望しそうになった
もうダメだと思った
今、
人生はおしまいの日に
近づいたのに
もっと
生きたい
仕事をしたい
と思う
なぜだろう
ヘンですね
体調のこともあり一度は引退を考えたと言いますが、最後まで仕事に力を尽くしたやなせさん。
こういった感情はその年齢にならないと本当のことは分からないんだと思いますが、力強さを感じますよね。
むしろ、年齢を重ねたからこういった感情が生まれるのだろうか。最近何かと勉強したいと思う今日この頃。
≪ヨダレ≫
この頃しきりに
ヨダレがたれる
この感覚は
なんなんだ
赤ちゃんの時と
おんなじだ
若がえったと
いうことか
それは赤ちゃん返りだな!と思う反面、「ふふ。かわいい」と思ってしまいました( *´艸`)
アホラ詩集
90歳で出版された「たそがれ詩集」から4年。「アホ科・アホ族・アホ人間」そんな言葉が並んでいますが、なんともほっこりする詩集です。
「たそがれ詩集」に比べると文字は小さいですが、本も大きく読みやすいです。
≪激カラ味≫
他人の不幸が
蜜の味なら
自分の不幸は
辛酸わさびの
涙飴
のどもとすぎても
激カラ
ひりひり
まだ いたい
実際に、みんな大好きゴシップ記事。じゃぁそれが自分の事だったら?
痛いよね~。
だからと言ってゴシップを否定するつもりはありませんが、そういう詩ですよね。
なんか、「アッ(。-∀-)」と思っちゃった。
まとめ
やなせたかしさんの詩を読んでいると、ちょっとほほ笑んだり笑ったり、悲しくなったり温かくなったり、忙しくしていると忘れてしまう気持ちが表に出てくる気がします。
生きることとか命についてとか、大きい課題のそういうことも考えますが、日常のちょっとした感情の共感も出来るんです。
何冊か読んで同じ詩が入っているものもありましたが、何冊か持ってても良いな。って。
いやぁ、おもしろい。いい詩に出会いました。
詩集じゃない本もたくさん出てるので、読んでみようと思いました(*´▽`*)