笑えるようなワクワクしたいようなものを読みたくて手に取った西さんの本。
2日続けて読んだ西加奈子さんは、少し笑えましたが何だか人生を考えてしまうようなものでした。
今回読んだ「ふる」は、最初は日常の風景のようで、最後にたたみかけるように何かが起こるのかと読み進めましたが、そういった作品ではありませんでした。
恋愛ものとも違うし、友情ものかと思うとそうでもない。
一人の女性の人生観。というべきなのでしょうか。そういう話でした。
最初は理解するのが少し難しかったです。
最後まで読み終えて、主人公の女性のような部分も自分にはあるかもしれない。そう思ったら、何だか自分の人生や価値観や、そういったものを考え込んでしまいました。
『ふる』のざっとしたあらすじ
主人公は「池井戸花しす(かしす)」という名の28歳の女性。2歳年上のさなえと猫2匹と同居している。仕事はビデオのモザイクがけ。同僚は黒川と新田の男性2人と朝比奈という女性1人。
おお、なんとも西さんらしい職業の選択。と思いましたが、それもこの物語に意味のあるものでした。そして西さんは、女性のその部分について書きたかったというのがあったんだそう。
花しすには、他の人には見えない「正体の分からない白いふわふわしたもの」が見える。
「正体が分からない」と本分でもありますが、最後までその正体は分かりません。
実際に「ぼんやりとした「かたまり」のようなもの」を書きたいと思っていたという西さんがあるように、人それぞれのとらえ方でいいのかもしれません。
花しすはICレコーダーで他人との会話を録音し、それを家で聞くというのが日課になっています。それはタクシーでの会話や仕事場での会話。
まぁ、趣味は人それぞれだよね。と思ったが、これもまたこの物語の意味深いところでもあります。
「いつだってオチでいたい」と望み、周囲の人間に嫌われないよう受身の態度をとり、常に皆の「癒し」であろうとして、誰の感情も害さないことにひっそり全力を注ぐ毎日だった。
河出書房新社より引用
とありますが、私が読む限り花しすは、人の目をそこまで気にしているようには見えないし、あからさまに空気を読むという事をしているようにも見えません。
ただ、人のことを「見ている」というのが花しす。
もしかしたら、無意識のうちにそうしている人は多いんじゃないかな。とういうか、人は皆そうしているんじゃないかな。というような、当たり前のことのように思うもの。
本の中では、現在と、花しすが子供の頃から成長していく姿の話が交互に書かれています。そこも少し難しいと思ってしまうところでもありますが、そこにも重要な人物が登場します。
その登場人物にはどんな意味があるのか。というのを考え読んでいると、やはり深い。
職場での距離
花しすが、職場で冗談を言い合い自分のことをからかってくれる人がいるのが心地いいと感じる場面です。
黒川だけでなく、朝比奈も、新田も、花しすのことを、何かとからかい、笑う。社内は仲が良いのに、何故か皆苗字で呼び合うが、それでも皆が、池井戸さんは、と言うときの親しみを秘めた唇の運びや、愛情に裏打ちされた蔑みが、花しすは嬉しい。
「おぉ、それはめちゃくちゃ分かるぞ!」と共感してしまう部分でした。
距離感。
会社の中で熱血な上司もいるだろう。きついことも言われるだろう。そんな中で自分の心地いい場所がある。
燃えてるでも冷めてるでもなく、近くでも遠くでもない。そんな距離感で笑える。というは誰にもある心地のいい場所なんじゃないかと思います。
でも、花しすは、小学生の頃から分をわきまえていた。と書いてあるので、自らそういった距離感を保っていたのかもしれないし、自らそういった距離感にしていたのかもしれない。
とも思いました。それは自然に。
実は私は、けっこう熱い人間で、昔は「何で本音言わないの?」とイライラすることもありました。
今も熱いと思っていますが、表面に出さないようにしている自分はいるな。と思います。それが楽だったりする。だから、自然にそういった距離感に持って行っている自分がいるのかもしれない。
でも、相手が本音で話してくれると自分も本音を話していて、そういう自分も嫌いじゃないとも思います。
自分の中の境界線じゃないけど、なんて言ったらいいか分からない、そんな感情を花しすに感じたし、やっぱり、そういう人はこのご時世多いんじゃないかとも思うんです。
きぐるみ
これはちょっと笑ってしまった部分です。
物語は時系列がすこし入り乱れているんですが、花しすが8歳で、祖母に連れられて動物園に行っている場面。
他の子どもはわーわー騒いでいるのに、花しすは「自分だったらそんなことをしない」と、冷静な子ども時代。
そんな動物園で、きぐるみのライオンと出会ったシーンです。
あれは人間の体に、ライオンに似せたきぐるみをかぶせているだけで、だからあの焦点の合わない目は目ではなく、あの奥に、きちんと人間の目があるのだ。
もう、冷静なんです。
それを自分で分かっている花しすは、かなり大人子どもですが、怖いと思うのは子供なのかと思うような。
怖い。
絶対に目が合わないのが怖い。
着ぐるみの威力を借りて、大人がはしゃいでいるのが怖い。
笑ってしまいました。変な意味ではなく。
怖いと思うのは子供だからと思ったけど、そうじゃなくて、はしゃいでいる大人が怖いと思ったことに笑ってしまった。
動物園。遊園地。観覧車。ボーリング場。。。はしゃぐわ~(*ノωノ)
まぁ、多分、そういうはしゃぐというのとは違うのかもしれませんが、確かにきぐるみは大人になった今よりも、子どもの頃の方が怖かったかも。
実は子どもの方が冷静だったりすることがあるんですよね。
甥っ子と本気で遊んでるのに、スンって顔した5歳児を見た時は笑える。「おい、何を冷静に私を見ているんだ。」と思うことがあります。
そう思ったら、はしゃいでる自分って。ってちょっとほくそ笑んでしまいました。
マネしたいセリフ
職場で同僚の朝比奈を飲みに誘おうかと悩んだが、気を使ってそのまま帰宅した花しす。帰り道にスーパーで買い物をして、帰ってきて部屋を暖かくしてビールを飲むシーンです。
一口飲むと、叫びたくなるくらい美味しかった。季節問わず美味しい、このビールという飲み物は何なんだ、天才か、と思う。
「天才か。」
声に出す。十代の頃、これなしに過ごしていた自分が信じられなかった。ファンタもサイダーも阿保ほど美味しいが、天才のレベルではない。
マネしたいって思いました。
天才か!?ってツッコむ感じじゃなくて、しみじみと「天才か。」
「阿保ほど」と表現してしまうのも笑ってしまいます。これは関西の独特なものなのだろうか。
こうやって読んでいると、やはり花しすは、そんなに自分のことをごまかして生きているという感じではない。
花しすの本音
読み進めていくうちに、花しすの本音が見えるようになります。
一緒に住んでいるさなえから「この生活いつまで続ける?」と言われた花しす。
花しすの頭をよぎったのは、そこまで苛立っているのか、ということだった。一瞬だったが、自分の性を忘れ、女って面倒だな、とまで思った。
これは、朝、会社に行く前のこと。
このやり取りで早く家を出た花しすは、会社に行くまでの道すがら考えます。
さなえちゃんはもっと、堂々とすればいい。
花しすは思った。優しいさなえちゃん。では自分だって、堂々とすればいいのに、出来なかった。もっと堂々としてよと言いたいなら、言えばいい。でも言えないのは、さなえを傷つけたくないからではなく、誰かを傷つけた自分を見るのが怖いからだ。
いつも優しいね。と言われることにもこう考えています。
でも花しすは、自分のことを優しいと思ったことなど、一度もなかった。自分は、誰かを傷つけるのが怖いだけだ。それを優しさだと、ある人は言うかもしれないが、傷つけないことと、優しいことは違う。
私は単純なので、やっぱりそれは優しいというのではないだろうか。と思いましたが、「オチでいたい」「自分は狡い」と思っている花しすは、その言葉について表面的な感覚なのかもしれません。
女って面倒だし、人を傷つけたくないって思うし、自分は狡いし。って割と普通にみんな思ってるんじゃないかしら。とも思うんです。
表面でオチでいたいというのは演じているのか、そのことを「私は狡い」と思うというのは、すごく繊細な感じがします。
そういう繊細な部分も、西さんが書くと、何か考えてしまいます。
さっと読んでしまうと不思議で、私にはよくわからんな。という話なんですが、考え出したら実に深いお話でした。
花しすの母や、寝たきりの祖母、中学や高校の友人たち、前の職場でのことなども書いてあって、一人の女性の人生を覗いたようなな、そしてそれは人生やら生きるやら女性やら、何だか深かった。
ワクワクしたものが読みたかった私は、その代わりに深々と考え込んでしまった2日間でした。